Concept
アリの世界にようこそ!
アリの世界は魅力に満ちています。
アリはわれわれ人間とは異なる社会を進化させてきました。
アリの世界を覗くことは、『社会』の進化を覗くことです。
1億年の進化の旅
地球上でもっとも成功した生物のひとつ
どうやってこんなにも長く地球上で繁栄できたのか?
一緒に見て、感じてみてください。
Welcome to the ANT WORLD!
The ant world has plenty of wonderful things.
The ants have been evolved into different social systems from human society.
Look the ant world, look at the evolution of society
Journey to the ant evolution over 100 million years
One of the most successful organisms on the earth
Why and how to succeed on the earth for a long time!?
See and feel ant world on the website
Murakami Takahiro 村上 貴弘
1971. 1.6. 神奈川県生まれ
2014- present 九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授。 おもに社会課題解決に大学の研究がどのように繋がるかを考えて活動してきた。おもな成果はヒアリ騒動に対する対応、アリ音声コミュニケーション研究、福島原発事故後のアリ相調査など。
2008-2014 北海道教育大学函館校 准教授。おもに環境科学に関する研究を行っていた。アリの音声コミュニケーション、福島原発周辺のアリ相調査、エコフィード、哺乳類の糞分析、プラナリアの核型解析や再生プロセス、ハキリアリの忌避物質、などなど
2006-2008 愛媛女子短期大学 専任講師。おもにハキリアリの忌避物質の研究や地域の特産品の成分分析などを行った。ここでは『教育』にもっとも力を注いだ。
2005-2006 北海道大学創成研(長くて正式名称忘れた)で学術研究員。両生類の性決定関連遺伝子の染色体上へのFISHマッピングしてました。
2003-2005 理化学研究所再生発生総合研究所 学術研究員。阿形先生のところでイモリやプラナリアに再生関連遺伝子の染色体上へのFISHマッピングをしてました。小保方さんには会わなかったけど、笹井さんや若山さんとは成果報告会で一緒になりました。
2002-2003 カンザス大学進化生物学研究科で日本学術振興会海外特別研究員。Cameron Currieと一緒に菌食アリの菌食行動の進化を研究してました。
1999-2002 テキサス大学統合生物学研究科で日本学術振興会特別研究員と海外特別研究員。Ulrich G. Muellerさんと一緒に菌食アリの菌食行動の起源や進化を研究。
1998. 4.1. 北海道大学理学部附属動物染色体研究施設研究員 おもに魚類やアリ類の核型解析を行った。
1993. 4.1. 北海道大学地球環境科学研究科修士課程入学 修論と博論はハキリアリの菌食行動の起源と社会進化を追求
1989. 4.1. 茨城大学理学部生物学科入学 卒論は「ヤマヨツボシオオアリとナワヨツボシオオアリの巣仲間識別行動」
作者の概要
生まれたところ、これまで住んだところ
生まれたところは、神奈川県横浜市。3才まで住んでいた。ほとんど覚えてない。家のあった、妙連寺のまわりの風景をうっすら覚えている程度。横浜に遊びに行ったときに、迷子になってヨメさんに思いっきり馬鹿にされた経験あり。
それから、宮城県仙台市へ。
小学校5年生まで住んでいた。まわりに自然が多くて、最高の環境だった。近くのでかい空き地が、主な遊び場だったけれど、広瀬川、八木山動物園の下の渓谷もよく遊んだ場所。いい加減な大家だったおかげで、ニワトリ、ウサギ、などを飼育しても怒られなかった。東北新幹線が開通する前に札幌に引っ越した。
北海道札幌市へ。
高校3年生まで住んでいた。南区に住んでいたため、都会とは隔離されていた。その当時、家の近くでキャンプしたら、あまりの星の多さに、恐くて外に出られなかった。
大学は茨城県水戸市の茨城大学へ
4年間住んでいた。あまりの道の狭さに驚がく。大洗、阿字ヶ浦あたりが遊び場所だった。ママチャリでよく行った。那珂川でも結構遊んだ(4年の時)。アリのサンプリングポイントは大学裏の雑木林、阿字ヶ浦、大洗、千葉県清澄山など。
大学院は北海道大学。再び札幌へ
東区に3年半、中央区に1年半、北区に1年住む。一人暮らしの冬の札幌が、どんなに寒いかを思い知らされる。札幌でもママチャリでいろんなところに行った。石狩浜、望来、厚田村、などなど。アリのサンプリングポイントは千歳、苫小牧、藻岩山、三角山など。
99年7月に学振の特別研究員として京大生態研センターに移動。
京都市左京区の大学のそばに部屋を借りる。これまでの一人暮らし人生の中で一番安い家賃だ。家賃の変遷をまとめると、40,000→34,000→37,000→85,000→14,000円!
1999年10月からアメリカ、テキサス州、オースチンに住んでいる。
サンプリングは近くのBrackenridge field labなど。家賃は775ドル(80,000円)!高いと思っていたら、今はさらに高いアパートに引っ越した。家賃はなんと899ドル(95,000円)!!!
外部形態などの特徴
身長176センチ。体重67キロ。色白でたれ目。左利き。手のひらは大きいが、指が短い。特に小指。
髪は黒。染めたりはしてません。髪の長さは普通。短くも長くもない、と、書いてから数日でスポーツ刈りにしてしまった。眼鏡をかけている。視力は左0.4、右0.3。テキサスで新しい眼鏡を買いたいな。虫歯はない。
特徴2
人からよく道を聞かれる。ちょっと、それはないんじゃないかという場面でもかまわず聞いてくるところを見ると相当話しかけやすい顔をしているようだ。
しかし、ぼくはかなりの方向音痴だから、いつもしどろもどろになってしまい、けっこう辛い。オースチンに来てからも、これまでに5回くらい道を聞かれた。でも、まともに答えられなかった。まあ、とにかくよく道を聞かれるという特徴を持っています。
車について
車にはあまり興味はないです。免許は19才の時に取ったけれど、その後全く運転せず。初めて自分の車を買ったのは、大学4年(1993年)の冬。マツダのファミリア、10年落ち。2万円。ワタナベ君の友達から格安で買いました。この車は燃費がものすごく良くて、お気に入りでした。ワタナベ君、いろいろありがとう。ファミリアは1年後、車検を通すのに20万円かかるといわれて、札幌で廃車。それからはまた車なしの生活に。
次に自分の車を買ったのは2000年の3月。アメリカでは車なしでは生活できんということで。実に7年ぶりの車生活、しかも左ハンドル、右側通行。買った車はVOLVO 240 DLステーションワゴン。またも古い古い、88年製。オートマ。35万円。今のところこの車で満足しています。
健康状態
重大な持病はありません。おおむね健康です。今のところ、年に数回風邪をひくのと数カ月に一回、偏頭痛になるくらいです。23才から28才くらいまでの間、アトピー性皮膚炎に悩まされてきたけれど、それも直りました。これは初めてパナマに行ったときに咬まれたダニの予後が悪く、アトピーになってしまったもの(94年冬)。
それと同時に、パナマから帰ってくる飛行機の中で心臓がバクバクしてしまい、それ以来、ちょっと心臓が不安です。無理しすぎたっす。調査が楽しくて、スケジュールの後半は早朝から深夜まで観察していたり、観察後、飲んだり踊ったり帰る準備で徹夜したり、帰る日も東先生と朝7時まで飲んでたり、その後ロスアンジェルスの街をジョギングして(朝7時半、アホだ)、ジャグジーに入って、飛行機に乗ったからだと思います(当たり前か)。
97年秋にはこれもパナマ調査から帰ってきて、結婚式を挙げて、博士論文のデータ取りをしているときに不整脈が出てしまいました。以来、年1回出てます。
98年は6月に、この時は引っ越しと家具をそろえるのが大変でストレスになった模様。
99年は12月に、これはオースティンにやってきて、アパート探しとか、研究の環境を整えるとか、日本に残してきたヨメさんと娘のこととかいろいろ悩んでたら出ました。
2000年も12月。研究日誌を見て下さい。疲れてるかも。
01年は7月。実験が上手くいかず、相当ストレスだったようです。
02年は4月。せっかく新築のアパートに引っ越してきたのに、とたんに大雨で浸水。あまりのことにプチッとなってしまいました。
そうやって考えると、最初のパナマ遠征はぼくの人生に良い意味でも悪い意味でも大きな影響を与えているようです。ぴーす。
野球
今は特にスポーツを熱心にはしていません。小学校の頃は野球に夢中でした。その頃は王、張本がぼくのあこがれの選手でしたが、実際に試合を見に行っていたのは当時県営宮城球場を準フランチャイズにしていたロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)。そのころは村田兆次、レオン・リー、レロン・リーのリー兄弟、有藤、など渋い選手が活躍していました。
よく、ロッテ・南海戦が開催されていたのですが、観客数は本当に数えられる程度でした。一度数えてみたら96人で、それはあんまりだと思っていたが翌日の新聞発表では216人になっており、やはりそんなものか、とびっくりした記憶があります。
小学校5年の時に野球チームに入り、中学からは本格的に野球部で活動。高校時代も1年だけ野球部に所属したが、担任の嫌がらせに辟易して退部。守備はファースト、リリーフピッチャー。センターかライトなどなど。打順はもちろんいろいろだったが、1から5番の間を打っていた。(4番は打ったことがないが)
野球のほかには、サッカーが好きです。がんばれコンサドーレ札幌!
自転車
自転車はむかしから結構好きです。最初に自分の好みで買った自転車は高校一年の時のロードマンです。赤でした。お気に入りだったんですが#モチて2ヶ月後のある朝、テストに遅れそうだったので飛ばしに飛ばして、藻岩下の石山通と観光道路への小さな幹線がぶつかるかなり危険な交差点で、点滅信号を突っ込んだら右折車にはねられました。前輪が大破・・・。
その後、その自転車は欠陥だらけになってしまい、ブレーキパッド、チェーン、ペダル、最後には後輪泥よけがはずれ、いずれも冷や汗ものでした。
大学に入ってからは、ママチャリ一辺倒です。でも、本当によく盗まれました。一番もって半年くらいでしょうか。
最後に買ったのは、現在ワシントン州に在住のFくんにそそのかされて買った小さなバイクです。4万円位しました。ロードマンに次ぐ値段です。これ、よかったんですが、冬場は全く走行できず、期待を裏切りました。
あ、あとそれから、大学院時代に千歳にサンプリングによく行ったんですが、電車と自転車を乗り継いでサンプリング場所まで行ってました。
今は、福岡市の大橋にあるご機嫌なバイクショップ『ジェット&サイクル』さんで買ったRockbikes Pride Ltdの紫色のやつに乗ってます。もう5年になりますが、最高です。
キュウリ
キュウリ、その響きを聞いただけで、背筋に少し悪寒が走ります。なぜヒトはキュウリを生で食するのか?あんなにバイタミンcを破壊するというのに。なむなむ。哀れな人々に神のご加護を。
キュウリ、いつからぼくは食べられなくなったのだろうか?否、ほとんど食べた経験はないから、生まれたときから、ぼくにはバイタミンcを破壊する酵素を見分ける味覚と臭覚があったに違いない。
キュウリ、給食のポテトサラダ、韓国料理のユッケ、ツナサンドウィッチ、そして冷やし中華。それぞれ大好きな食べ物なのに、やつが入っているだけで台無しだ。
キュウリ、高校の時、嫌がらせで椅子の上にのっけられた。他の人なら冗談だったかもしれないが、ぼくにとっては「おまえなんか大っ嫌いだ!!!」というメッセージにしか見えなかった。
アデュー、キュウリ